2001年にマリナーズへ入団するも周囲は日米問わず冷たい反応が多く、また背番号51が「ランディ・ジョンソン」が背負っていたイメージが強くあまり好意的なイメージでは無かった。だがその後のイチローの活躍が続くと好意的なイメージを持たなかった者達が減っていき。しまいには冷たい反応だった「シアトル・タイムズ」にてお詫びのコラムが掲載される。
4月から5月にかけて制定された月間MVPを受賞する。オールスターゲームでのファン投票も337万票を獲得する。両リーグ通じても1位という得票数です。また8月、9月の活躍で再び月間MVPを受賞。チームの地区優勝に貢献をしたとマリナーズは、コミッショナー特別表彰を獲得する。アメリカンリーグ史上初の新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞の同時受賞を達成する。
2004年、前年はオールスターのファン投票で3年連続両リーグ最多。そして2004年には中間発表で3位松井秀喜選手でイチローは4位であった。最終発表では逆転し4年連続でオールスター出場をした。10月には258安打ち着実に安打を増やしていった。最終的にチームは最下位になるも262安打でシーズン最多安打記録を更新する。同時に打率は372でメジャーでは3年ぶりの2度目の周囲打者に、その他にも得点圏打率(.372)、得点圏出塁率(.484)、2死得点圏打率(.472)、2死得点圏出塁率(.600)、走者あり打率(.364)、走者あり出塁率(.439)、対左投手打率(.404)、敬遠数(19)、出塁数(315)というリーグ1位に輝くまたロード打率、後半戦打率を記録し、ロードで記録した145安打もシーズンメジャー最多安打となりました。この記録、成績を通して米国内の新聞で偉業を称える記事が掲載され、中でも「USAトゥデイ」には全面広告で祝福の記事が掲載された。そしてイチローはコミッショナー特別表彰を受ける。日本からも正力松太郎賞特別賞が授与される。
2006年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出。イチロー自身「オリンピックはあくまでアマチュアの為の大会。自分はプロ」という事で国際大会の参加を断り続けていた。だがWBCはメジャーリーグ主導によるプロ初の大会という為に参加した。1次リーグの調子がのらず。2次リーグから決勝は調子を上げていき、アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録する。マリナーズでは決して見れなかった感情むき出しにプレイする姿、決起集会で鼓舞する姿で日本の野球選手の顔としてチームを引っ張っていく存在になった。