2007年7月にはシーズン終了待たずに7月には5年9000万ドルで契約延長。7年連続出場したオールスターゲームにおいて史上初のランニング本塁打を放ち、3打数3安打2打点を記録する。オールスターMVPを受賞する。そしてこの年にゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時に受賞する快挙を成し遂げる。
2009年第2回WBCに出場する。開幕前はかなりの不調でマスコミからはバッシングを受けつつも原辰徳監督は全試合イチローを1番起用をし続けた。イチローはその監督の意思に応える如く決勝の韓国戦で6打数4安打という活躍で日本の連覇に多大なる貢献をもたらした。しかしWBCが終了後に極度の疲労により体調を崩し初の故障者リストに入ってしまう。ですがその後も27試合連続安打を記録してオールスター出場も果たした。シーズン終了結果も故障者リストに入っていた事にかかわらず225安打を記録。
2011年メジャーデビューから調度10年が経ち最初は快調な滑り出しだったのですが、5月以降は不調が続く。連続で獲得していた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」もここで途切れてしまう。メディアからも「年齢による衰え」、「期待外れ」とバッシングを受ける。
2012年メジャー移籍後初めて日本公式開幕戦に出場をし活躍を見せる。しかし中々調子は戻らず打率も261であった。7月23日にトレードによりニューヨーク・ヤンキースへ移籍する。移籍発表では自身が移籍を志願していたと明かす。そしてヤンキースへの移籍に対しては「結果的には一番勝ってないチームから、一番勝っているチームに行くということになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思います」と応え、背番号51がイチローの憧れでもあるバーニー・ウィリアムスが付けていた番号であり本人は「付けられない。」と固辞し、背番号は31になった。ヤンキースでの活躍で調子が徐々に回復をしていく。2013年3月に開催されるWBCに出場要請を貰うも本人は辞退。「ボクの中で第2回大会を終えた時点で3回目の出場は考えられませんでした。今日までその気持ちが変わることはなくこういう形になりました」とコメントする。
2015年 2013年から2014年にかけては不調な成績で終わりFAとなった。1月27日にマイアミ・マリーンズと1年契約を結ぶ。背番号は51。メジャーリーグ球団の40人枠野手で最年長となる。シーズンが始まるもスランプによる不調が続く。7月から安打を記録すると少しずつ回復しつつある。10月には来期の1年契約をマーリンズと結んだ。